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増田信夫の油外放浪記  MIC社長増田信夫 第76回 自動車売買ビジネスに本気で取り組む~<その1>

大型LED看板を掲げるもわずか半日で撃沈(泣)

ガソリン需要は今後20年で、現状比6割減少すると予測されています。
昨年末は元売会社の大再編が報じられました。
目の前では、時々刻々とガソリン店頭価格が下がっています。

私のような一介の中小企業経営者が律儀に石油販売にしがみついていると、燃料油需要の減少とともに会社もフェードアウトしてしまうでしょう。やはり自分たちの意思と覚悟でコントロール可能な「油外」で勝負したい。それでダメなら諦めもつくというものです。

前号の本稿で「SSと中古車買取の複合業態店」にチャレンジし始めたことを記しました
昨年7月、当社が運営する中古車買取専門店の機能と人材を横浜市北部にある「茅ヶ崎SS」へ移管しました。店長も代えました。

当初は大混乱しましたが3カ月もすると、彼らもSS運営や車検業務に慣れてきました。
車売買に対しても、本来のポテンシャルを発揮するようになりました。そこで満を持して、大型LED看板をSS店頭に設置しました。

交差点に対して横9m×縦2mの面版に、明るく美しいメッセージや画像が次々と映し出されるド迫力。同業者をはるかに凌ぐインパクト。交差点を往来するドライバーも歩行者も目を丸くして見つめています。
その様子を見て、私もスタッフも成功を確信しました。
・・・と思ったのもつかの間、翌朝、横浜市の職員がやってきました。「直ちに看板の電源を切りなさい」と。

聞けば、横浜市の広告物掲示条例に違反していると言うのです。交差点から5メートル以内には大型電光看板を設置してはならない、という条例が最近発布されたのを看板業者が見落としていたのです。

見落とさなかったのは同業者でした。お客様が反応するより早く、市へ通報したのです。駄々をこねても仕方ありません。この勝負、明らかに同業者の勝ち。
彼らも必死です。私は自嘲するだけ。
乾坤一擲(けんこんいってき)の野望は、わずか半日で崩れました。

必ずや報復しようと思っていますが、電源を落とされた真っ黒なLED看板は憐れな姿をさらし、撤去を待っている状態です。

買取店の皮を被った整備工場

何とも「間抜け」なスタートとなりましたが、今年は当社の「自動車売買ビジネス元年」と位置づけ、本気で取り組んでいきます。
そこで今号と次号にまたがり、これまでの経験をもとに「SS車販論」を述べてみようと思います。

当社が油外ビジネスの一環として中古車買取ビジネスを始めたのは2000年のこと。奇しくも茅ヶ崎SSでスタートしました。
当時は右も左も分からず、開発費と人件費ばかりかかる「お荷物」ビジネスでした。

少し前向きに取り組もうと思ったのが2002年です。かねてから車検のキャパシティを増やしたいと思っていたところ、当社の1号店である仲町台SSの向かいの土地が借りられることになりました。
よしッ、念願の指定整備工場を建てよう。ただ、SSから送客するので工場の看板は必要ないぞ。ならば、中味は工場でも外見は中古車買取ショップとし、工場の2階にその事務所を設置しよう。そう考え立ち上げたのが「車買取館」です。

SSとは別の独立した専業店です。経営ノウハウがありませんから、何らかのフランチャイズ・チェーンに加入することも考えました。
しかし、近隣にはすでにガリバー、アップル、ラビット、カーセブンなどがひしめいています。やむなくプライベート・ブランド(PB)で立ち上げ、他エリアの同業者に教えを請いました。

中古車買取ビジネスの流れはこうです。車を手放したい、買い替えたいと思うユーザーにご来店いただき、車を査定して納得いただければ買い取ります。これをオークションに出品し、再販売します。その差額が利益です。

やってみて分かりました。
このビジネスのポイントは2つ。
「集客力」と「人間力」に付きます。

買取専門店は赤字知らず

集客はSSで培った技術を投入しました。すなわち、前面道路の通行車両に対して「ドロップイン」を狙います。

当店の前面道路を日常的に(月1回以上)反復利用している車両は約25万台です。この25万台のユーザーに注目させ、興味を持たせ、記憶に刷り込めば、車を手放す時に思い出してもらえます。

そこで内照式モノリス型の大看板を設置しました。1000万円かかりましたが、リース代金は月額18万円。車を2台買い取ればお釣りが出る額です。整備工場の建屋やファサードもすべて「車買取」一色にしました(写真1)

整備工場と一体化したことで、店頭に「動き」を演出できることも計算しました。

月に300台を超える車が出入りし、何人もの整備士や事務員が動き回る様子は店を活気づけます(写真2)

動きのない店に入るのは怖いものですが、動きのある店は気軽に入りやすいのです。同業者に対して抜群の差別化となるでしょう。


その結果、月間100台もの入店が実現し、毎月50台の買取実績を上げました。開業以来、赤字知らずのドル箱事業となりました<表1>

もう一つの要因は「人間力」です。これにも恵まれました。軽鈑金に従事していたF君を「車買取館」の店長に抜擢しましたが、類稀なリーダーシップを発揮したのです。

彼を含めた4名の社員に中古車査定の研修を受けさせましたが、その後、現場経験を積むなかで、中古車買取のプロに成長する者と適性のない者に分かれました。
F君は、容赦なく配置替えを行いながら(退職者が出るのもいとわず)、新人を採用します。
そうして一騎当千のプロ集団を形成しました。

そのプロセスを見てきた私は、「SSでは買取ビジネスはできない」と結論付けざるを得ません。
生き馬の目を抜く車買取業界にあって、素人に毛の生えた程度の知識と経験値では到底太刀打ちできません。
〈表1〉
に見るように来店客の半数と成約し、650万円もの売買差益を出し続けたのは、少数精鋭のスタッフたちが相場を知り、査定ができ、さらに接客力や交渉力に長けていることの証です。

やはりSSは、一定の教育さえすれば、皆が一丸となり販売できる商材ーすなわち、車検・レンタカー・オイル・タイヤなどを浅く広く売るのが向いています。

掟破りの「SS+買収」複合店

しかしここ数年、市場が激変しました。
中古車買取の主流がインターネットのポータルサイトを通じた「一括見積もり」へ移行してしまったのです。

「車買取館」の入店客数は月50台に半減しました。当社もポータルサイトへの出店を試みましたが、最大の特徴である看板や店の活気は、ネットの中では何の役にも立ちません。
わが買取プロ集団は暇を持て余すようになりました。

時を同じくして、茅ヶ崎SSも壁に直面しました。車検やレンタカーに躍起になっていましたが、200坪の敷地にあって限界に達していました。
かつてSSのセルフ化を契機に洗車機を撤去しましたが、これも付け焼刃でした。

例えば、休日の朝などは20~30台のレンタカーがほぼ一斉に出発します。このため、前夜の
うちに駐車場から車両を回送し待機しておくわけですが、店内はレンタカーであふれ返り、給油もできません。

車検も同様です。
毎月200台が入庫するようになると、預かりや引き渡しの車両が慢性的に数台、店内に存在することになります。給油のお客様はその間を縫うようにして移動せざるを得ません。一時的に車両が15台以上になることも珍しくなく、給油動線がすべて塞がれてしまいます。
やむなくレンタカーの在庫を減らしたり、車検台数を制限しました。

これでは本末転倒です。
いったい場所を要さない油外商品はないものかと考えた時、「SSでは絶対にやるまい」と思っていた中古車買取が浮上しました。これは店に中古車査定のためのスペースがあればよいので、近くに駐車場を確保すれば成り立ちます。

提破りの「SS買取ショップ」ですが、この着想に執心したのは、SSスタッフに買取技術を習得させるより「百戦錬磨の買取スタッフにSS運営を習得させた方がはるかに現実的」と考えたからです。

「車買取館」にとって、SSの集客力は非常に魅力的で、車の買い替えニーズを最前線で捕捉できます。
SSにとっては、抑制せざるを得なかった油外収益を、敷地面積の制約条件なく車買取収益がカバーして余りあるでしょう。
前述の一件は、さらに前面道路の通行車両に対し、大きくアピールすれば集客面も「鬼に金棒!」と意気込んだ矢先の看板撤去命令だったのです。

でも、落ち込んでいる暇はありません。
何とかして「幻のLED看板」を凌駕する集客策を打ち出してやるぞ、と頭をひねっているところです。

車販ビジネスも転換期

さて、当社は中古車の買取とは別に、販売にも取り組んできました。いわゆる「車販」ビジネスです。
車販は、車検やレンタカーと相性がよく、SS油外商品のアイテムのひとつとして取り組んできました。それなりに試行錯誤を繰り返し実績も出してきました。

ところが、どのSSも月間粗利が100~150万円程度で頭打ちになってしまいます。
そこで今年は車販も大きく方針転換する計画です。

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これについては誌面の都合上、次回に述べたいと思います。

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