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増田信夫の油外放浪記  MIC社長増田信夫 第31回緊急時のSS収益を支えた車検とレンタカー

「東日本大震災」---被災地へ向かう

3月11日に発生した「東日本大震災」では、神奈川県横浜市にある当社ですら、社員がパニックを起こすほどの衝撃を受けました。まして、被災地の皆様におかれましては、もはや私ごときの慰めの言葉は何の重みも持ちません。

被災されたSSや整備工場の中には、当社とお取引いただいているところも少なくありませ ん。3月後半に至ってもなお、連絡がつかない店舗や会社が存在します。どうか皆様のご無事をお祈り申し上げます。

3月末の日曜日、私は横浜から愛車を駆って、福島県相馬市へお見舞いに行って参りました。往復約1000kmの走行距離です。現地での給油は無理ですから、ガソリンを携行缶で持参しました。

「福島第1原発」事故による風評被害で、農産物が売れない、物資が届かない、そんなニュース報道を耳にするたび頭にもきて、少しでも役に立てればいいと思い、大した量は車に積めませんでしたが、支援物資を相馬市役所へ持ち届けました。
市役所周辺の市街地は、外から見る限りほとんど無事に見えました。

しかし、港に出て愕然としました。泥と瓦礫に埋もれた惨状が広がっていました。「ひょっとして、ここに町があったのかもしれない」。けれど、どんな町だったのか想像すらできません。
被災地の状況は、テレビ映像や新障の写真で見てはいましたが、現地に足を運び、実際にこの目で見ると、感じたことや受ける印象はまた違ってきます。

私は、横浜に帰れば、平穏な生活があります。しかし、相馬市の人々はこの惨状の中、今も余震と不便に耐えながら復興を目指して生きています。
無力な私にできる事は、せめて会社経営に心血を詮ぐことによって、いささかなりとも景気回復に貢献する、それが被災地の復興をも支えることになるのだと思った次第です。

ガソリンパニックと当社の対応について

地震によって当社の運営するSSも停電しました。
地震発生の当日は、夜10時頃になってから電気が復出し、翌土曜日はガソリンの地下タンクが底をつきました。

玉が入荷したのは週明けの月曜日、14日朝のことでした。営業を再開した途端、SSスタッフは店内・外で交通整理に追われ、パニックに陥りました。

なにしろ5kmにもわたる給油待ちの車列です。ロードサイドには、会社や商業店舗がたくさんあり、当社SSへの来店車両の行列が事務所や店の出入り口を塞いでおり、「迷惑している」などと苦情の電話が殺到しました。

脇道から車列に割り込むお客様もいて、その苦情も絶えずSSへ寄せられます。そこで、SSスタッフが交通整理にあたりながら、要点を押さえたポスターを大急ぎでこしらえ、交差点などの要所に掲示しました。

次回の入荷の目処も立たない状況でしたから、せっかく長時間並んでいただいている お客様に対し、「在庫がなくなりました。ごめんなさい」というのは大変申し訳ありません。そこでやむなく、1台でも多くの車に給油できるように「車1台 20Lまで」と給油制限を設け、販売しました。

それでも入荷したのが10klですから「車500台が限界」です。車列の500台目をカウントして、それ以降のお客様には「今回はごめんなさい」と謝るほかありませんでした。

以降1週間ほどは、「入荷した途端に車列ができ、3時間でガソリンが完売する」という異常事態が繰り返されました。

加えて、計画停電の実施がこの混乱に輪をかけました。計画停電の予定時間を見越して、早々と閉店する商店も多かったのですが、同じくSS現場でも、停電するのかしないのか分からず、どっちつかずの状態が続きました。
車検やレンタカーを予約されているお客様が来店されますので、勝手に閉店するわけにいきません。

しかし、気の毒なのは、車列をつくり給油の順番を待っていただいているお客様です。余震が続きパニック状態にある中、あとどれくらい待つのか、自分の順番がくるまで在庫はあるのか、狭い車内ではドライバーのイライラと不安が募ります。

そこでSSスタッフには、「車列をつくるお客様と会話するように」と指示しました。こちらから話しかければ、多少でも不安は和らぐものです。

そして、これまた即席で作成したチラシをお客様に手渡しました。その内容は、「ガソリンが入荷したり、売り切れた時は、携帯メール宛にその情報をいち早くお届けします。だから、メールアドレスを教えてください」というものです(右図参照)。


当社SSの場合、車番認識システムとメールシステムが連動していますので、この ケースでは、Eメールアドレス未登録のお客様にだけチラシを渡しました。実際にガソリンが入荷するたびにメールを発信しましたが、「どのスタンドに行って も休業で困っていた。このメールが届いて助かったよ」などと、多くのお客楼に喜んでいただいたようです。

本連載のタイトルは「油外放浪記」ですが、今回ばかりは、「ガソリン翻弄(ほんろう)記」ですね。

車ごとガソリンを販売する

「油外収益の拡大!」と声高に叫んでいたSSも、この震災直後の期間は「ガソリンスタンド」本来の姿に逆戻りでした。当社は、通常の営業体制で臨みましたが、洗車やオイル交換といった給油連動型の商品の販売はガタガタでした。
逆に、車検やレンタカーは通常並みかそれ以上でした。

レンタカーでは、新規客が殺到しました。地震当日、首都圏は電車もパスも完全にストップし、大量の「帰宅難民」が発生しました。20kmとか30km、さらにそれ以上の距離を徒歩で帰宅する苦難の行進が報道されました。

道路も大渋滞です。タクシーを利用するといくらかかるか分かりません。そこで、レンタカーを借りることを考えついたお客様が利用されたのです。
レンタカーなら、時間と料金が気になりません。何人かで乗り合いをして割り勘にすれば、さらに安上がりです。凄い発想ですね。

尤も、ほとんどのSSが休業状態でしたから、満タン返しは期待できず、走行距離で換算してガソリン代金を戴きました。

ガソリン不足で苦労したのが、新横浜店と業平橋店です。
この2店は、SS兼業ではなくレンタカー専業店です。
新横浜店は、携行缶にガソリンを詰めてピストン輸送しました。しかし、業平橋店は当社直営SSから離れた場所にあり、ガソリン携行缶も品薄で手に入らなかったため、ガソリンを届けられません。
やむなく業平橋店は休業とし、一時的に車両をSSに移送して殺到するレンタカー需要に応えられるようにしました。

もう1店舗あります。
先月号の本欄で、とあるSSのセールスルームを借りた「テナントレンタカー店」の話をしました。こちらは肝心のSSが「ガソリンを安定供給できるようになるまで」臨時休業することになりました。テナントレンタカー店も休業せざるを得ませんでした。
そこで、予約いただいたお客様に頭を下げてキャンセルをお願いし、その車両も直営SSに移送しました。

そういうわけで、レンタカー店は休業しても、レンタカーは可能な限り稼働できるようにしました。ガソリン供給が不安定な中にあって、気が付けば、当社は「自動車ごとガソリンを販売する」という新境地(?)を切り拓いていたことになります。

非常時でも強さを発揮した「車検」と「レンタカー」

3月下旬になっても東北地方の被災地は、ガソリン不足がなお深刻だと聞きます。一方で、西日本はさほど大きな現乱もなかったとこちらに伝わってきます。
ともあれ、関東圏のSSはどこも「狂乱の3月」でした。

当社直営4カ所のSS実績を整理してみました。「表&グラフ」(右図)は前年3月との比較です。

燃料油の販売量は15%減りました。しかし、皮肉なことに需給バランスの山崩れを反映し、燃料油粗利は大幅に改善されました。

油外では、洗車が2割減、オイルは5割減となりました。車販も半減しました。「ガソリンを探し求めて」殺気立つお客様の前では、自動車販売も関店休業状態です。

そんな中でも、車検は前年実績を維持できました。
法定需要がある商品の強味ですね。ー年を通して最大の需要期にSS応頭が混乱したため、車検客がカーディーラーに流出するのではないかと心配しましたが、杞憂に終わりました。

そして、レンタカーが伸びました。緊急時のニーズに対略して、並ばずとも「ガソリン満タンの車に乗れる」という利便性を提供したことで130万円の増益となり、休業せざるを得なかった2店の(販売)機会ロスをカバーしました。

この結果、直営4SSの油外収益は、前年比100万円ほどのマイナスに止めることができました。燃料油粗利が増えたので、総粗利は200万円の増収です。
3月は多くのSSが油外販売どころでなかったことを考えれば、「油外放浪記」を寄稿する者としては、読者皆様のお許しを戴けるのではないかと勝手に自負しております。

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